「食べるものの好みって、
いつ決まるのでしょう?」
ある日、ふと、そんなことを考えました。
きっかけは、父とのささやかなやりとりです。
父は、決まったものしか食べない人
私の父は、昔から食に対して頑固な人でした。その傾向は、年齢を重ねるごとにより強くなっているように思います。
たとえば、久しぶりに日本に来た父のために焼き鳥を買っても、「いい」と言って手をつけません。
私の息子が「ハラボジ(おじいちゃん)に食べてほしい」と選んだお菓子も、「ありがとう」とは言うものの、テーブルの端っこに置いたまま。
せっかくだからと、私が作った日本の料理を用意しても、それもほんの一口、味見程度で終わってしまいます。
結局、父が安心して口にするのは、母の作った、いつもの料理だけです。
「世界が広がる食卓」の話を、
生徒さんから聞いて

そんな父の姿を思いながら、料理教室に来てくださる生徒さんと話をしていました。
ある生徒さんが、こんなことを話してくれたのです。
「ここに来ると世界観が変わるんです」
彼女は、今まで触れたことのなかった野菜や、スーパーで見かけても手に取らなかった食材と出会い、毎日の献立に使う食材の選択肢が増えたと教えてくれました。
その話を聞いて、思い出したことがあります。
味は覚えていないけど、
食べたことだけは覚えている
別の生徒さんが、以前話してくれた思い出です。
彼女が通っていた学校では、授業の一環として、クローバーや野草などを実際に「食べてみる」体験があったそうです。
その味については、あまり記憶がないと笑っていましたが、こう続けました。
「どんな味だったかは覚えていないけど、いろいろなものを食べてみた、ということだけは覚えています」
その言葉に、私はとても心を動かされました。
食べることは、思い出になる。
味そのものよりも、「食べた」という経験が、私たちの心に残るのかもしれません。
小学二年生の息子が言った、
心に残るひとこと

そんな話を、夫と話していた時のこと。その会話を聞いていた小学二年生の息子は、少し考えたあとにこんなふうに言いました。
「若い人は、わからないからいろいろなものを食べるけど、歳をとった人は、いろいろ食べたから、好きなのしか食べないじゃない?」
私は思わず、はっとしました。
なんて的を射た言葉なんだろうと感心しながら、「確かにその通りかもしれないね」と答えました。
でもその息子自身、じつは新しいものにはあまり手を出したがらないタイプで…。
「あなた、若い人じゃん!」
と笑ってしまいました。
歳を重ねても、
柔らかく食べることができる自分に

こんな問いが浮かびました。
「私も歳を重ねたとき、父のように決まったものしか食べなくなるのだろうか?」
もちろん、好きなものや安心できる味があることは、幸せなことです。
でも一方で、知らない味、新しい料理に触れることで、気づく感性や広がる世界もあるはずです。
できるなら私は、少しずつでも知らないものに手を伸ばせる自分でいたい。
好奇心を持ち続けて、「柔らかく食べる」人でいたいと思うのです。
「食の選択肢」を持つことは、
自分を大切にすること
日々の食事は、どうしてもルーティンになりがちです。
でも、たまに食卓に知らない食材が並ぶだけで、心がふっと柔らかくなることがあります。
それは料理教室で生徒さんたちと過ごす時間のなかで、私が一番実感していることでもあります。
「食べたことがないから、食べてみる」
そんなシンプルな一歩が、人生にちいさな風を吹き込んでくれるのです。
今夜の食卓に
「ひとつだけ、新しい何か」を
今日は何を食べましたか?
もしよければ、明日の食卓に「ひとつだけ新しいもの」を加えてみてください。
知らなかった味が、もしかしたら、あなたの定番になるかもしれません。
歳を重ねても、柔らかく、しなやかに。
食べることを通じて、そんな自分でいられたら素敵だなと、私は思っています。
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