Why do we cook?

妻との喧嘩

妻と喧嘩をすると、そこには愛情ではなくて憎しみしかないと思ってしまいます。

実際に、怒りに任せて感情的に妻にこんなことを言ってしまったことがあります。

「家族に対して愛情なんてあるの?何もしてくれないじゃん!」

僕がこの言葉を言うと妻はこんな言葉で返しました。

「毎日料理作ってるじゃん!」

怒りに体が支配されていたその瞬間は、その言葉に「たったそれだけ?」と思ったのですが、冷静になって考えてみると、そこには愛情しかないことに気付かされました。

なぜ料理をするのか?

今や、僕たちの暮らしは料理をしなくても生きていける時代になりました。

スーパーに行けば惣菜が売っていて、スマホでUberの画面を開けば指先ひとつで美味しいご飯が届けられる。
そんな時代にも、私たちの暮らしの中では、当たり前に「料理」というものが存在しています。

こんな時代に、それでも私たちが料理をする理由はなんでしょうか?

お金のため?
健康のため?
人に見てもらいたいから?

考えられる理由をパッとあげただけでも、そのどれもが自分以外の誰かのためになっていることに気づきます。
そして、それが最終的に自分の喜びにもなっている。

料理という行為には愛情そのものだと言うことに気付かされ、妻に言ってしまったあの言葉「何もしてくれないじゃん!」と「たったそれだけ?」と思ってしまった自分にとても後悔しています。

私たちの答え

僕たちが料理教室を始める時に、

「私たちが料理をする理由はなんだろう?」

と言う問いを何度も繰り返し問い続けました。
そして出した答えがこれ。

「きっと誰かが喜んでくれるから」

最近太ってきたから、ちょっとヘルシーにしようか。
今日は頑張ったからちょっと贅沢しようか。
お誕生日だから好きなものたくさん作ってあげよう。

相手のことを考えて、その人のために料理を作る。
もしかしたら、自分が考えていることと相手は違うことを思っているかもしれない。
それでも、「きっと…。」と相手のことを考えて動くその行為そのものが愛情なのだと思います。

料理教室を通して伝えたいこと

私たちがお伝えしているのは、韓国料理です。

いつもの食卓に、少し変わったレパートリーが増えたら食卓がより華やぐと思ったからです。

そして、その料理を一回作って誰かが喜んでくれたら、誰かを喜ばせる一つの愛情表現となってくれたら嬉しいと思って日々、レシピ作りをしています。

それでも毎日手の込んだ料理を作るのはちょっと違う…。

日本には「ケの日」「ハレの日」「ケハレの日」と言う概念があります。

「ケの日」はお葬式などの弔いごと。
「ハレの日」は結婚式などのまつりごと。
「ケハレの日」がその間の日常です。

基本的に、ハレの日は神様へのお供えとしての料理なので、見た目が重視され洗練された料理を作ります。
現代では、毎日がハレの日の料理を作ろうとして疲れてしまっているのが現状です。

日々の食卓は「ケハレの料理」つまりは「ケの料理」に少しだけ「ハレの料理」の要素を取り入れるくらいがちょうどいいのです。

「ひかりさんのレシピで作ったスンドゥブで家族が喜んでくれました!」
「家族が万能だれが好きすぎて、何度もリピートしています!」
「野菜嫌いな子どもがもりもり食べました!」

今まで生徒さんからこのような声をいただき、涙が出るほど嬉しかったです。
そして、そんなレパートリーをどんどんと増やしていけたらと、ますますやる気になります。

「私たちが料理をする理由は、なんだろう」

あなたなりの答えを、一緒に考えませんか?

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この記事を書いた人

高松利行のアバター 高松利行 取締役COO

新潟県新潟市で生まれ、大学卒業後は農協で働く。
そこで出会った農家に憧れて、自身が農家になるため農協を退職。
沖縄の伊江島で住み込みで農業を経験し、新潟に帰り、妻ひかりと新規就農。
農業をしながら、ワクタクのCOOとしてひかりを陰で支える。

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