スンドゥブチゲ

ある日、私の住んでいた場所の近所にスンドゥブチゲ専門店ができた。

その場所を通るたびに、香ばしい辛味の匂いがしたのを今でも覚えている。
「匂い」というものは、とても記憶に残るものだ。

なぜかその時、私は「スンドゥブ専門店を開きたい」と思った。
今思えば、その頃から食に関わる仕事がしたかったのかもしれない。

モドゥムジョンジョンはいつも食卓に並ぶ。 ズッキーニのジョンにトウモロコシのジョン、ジャガイモのジョンに白菜のジョン。 ジョンはとてもとても庶民的、かつ季節を最大限に感じら…

こちらの記事でも書いた通り、私は小さな頃から「食べる専門」の女だった。
そんな女が、「スンドゥブチゲ専門店を開きたい」と、なぜそんなことを思ったのかは今では思い出せない。

食べることが大好きな女は、ある日農家になった。
私の好きなものを好きなだけ食べられると思ったからだ。

美味しい果物に、新鮮な野菜。
それらを料理していつも豊な食卓…のはずだった。

しかし、現実はというと、忙しすぎる日々でゆっくりと料理をする時間はなく、簡単な料理しかすることはなかった。

息子を妊娠してから、私は農業から少し距離を置き、キムチを漬けることに専念するようになった。
その頃から、私は「食べる専門の女」から「作る女」に変わったのだ。

キムチを漬けられるようになってからは、他のものも作りたいと思い始め、キッチンカーを始めた。
韓国料理専門のキッチンカーだ。

たくさんの方が私の料理を喜んでくれ、今度はこの料理をご家庭でも作ってほしいと思い、料理教室をはじめることになった。

その料理教室の一番最初のメニューで、私はスンドゥブチゲを選んだのだ。

私の料理で、夫が一番喜んでくれたものだったので、自信があったし、
何より、私はスンドゥブチゲ専門店を開くことが夢だったのだ。

スンドゥブチゲ専門店を開くという、よくわからない夢は叶わなかったが、
私のスンドゥブチゲのレシピで料理教室の参加者はとても喜んでくれた。

お店で食べれば一度きりだが、
料理を教えることで、そのレシピはいつまでも食卓で輝いてくれる。

スンドゥブ専門店を開くより、私はこっちの方がとても幸せだ。

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この記事を書いた人

ひかりのアバター ひかり 代表取締役CEO

中国吉林省の朝鮮族の家庭に生まれる。
20歳に日本語を学ぶために来日。
日本語学校を経て大学を卒業後、家電メーカーショールームアテンダントとして働いたのち、夫の高松と共に新規就農。
こどもが生まれたことをきっかけに、キムチ作りを始め、故郷の家庭料理を広く伝えるキッチンカー、料理教室を開始。
今では全国を回って料理を伝えている。

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