子どもの頃、あまり外食をした記憶がない。
そんな記憶の中で育ったので、未だに「今日は惣菜で済まそう」や「外食に行こう」という頭がないのだ。
仕事が忙しく、夜の7時頃にようやく仕事が終わっても、私は夕ご飯を作ろうとする。
私の体を気遣ってか、はたまた空腹が耐えられないのか、決まって夫の高松が言うのは、
「惣菜買うか、外に食べに行かない?」だ。
「あぁ、そうか。その手があったか。」と私はいつも夫の提案に乗る。
そのくらい私の頭の中では、「母が料理を作る」と言う固定概念が根強く残っているだ。
言い換えれば、母はいつだって、どんなに忙しくたって、家族に手料理を作る人だった。
そんな私がこの料理を初めて食べたのは、友達の家のご飯にお呼ばれした時だった。
お肉の香ばしさと醤油だれの甘じょっぱさで、ご飯がとても進んだことは今でも忘れられない。
あの時の記憶が今でも鮮明に残っている。
「ハレの日」に食べるこの料理。
きっと私がごはんを食べると言うことで、友達のお母さんも奮発してくれたに違いない。
お肉なんて、今ではいつでも食べられる。
それでも私の中ではこの料理はやはり特別だ。
今はいつだって食べられるけど、
なかなか食べられなかった「あの頃」があるから、この料理はいつだって特別なのだ。
もうすぐチュソク(旧暦のお盆)。
その段取りだって、いい思い出だ。
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