ニラチヂミ

私たちが農家になったのは、2013年のことだ。

親が農家でもない。
親戚に農家もいない。(祖母が中国で農家をやっていたが…。)
そう。私たちが農家1代目になったのだ。

就農当初は梨農家からスタートした。

梨の収穫は年に1度だけ。
しかも秋まで収穫ができない…ということは、秋まで資材費はかかるが収入はゼロ。
夫高松の貯金はすでに農業に投資済み。
私の少ない貯金と失業保険でなんとか細々と食い繋いでいた。

それでもそんなものはいずれなくなることは目に見えている。
これだけでは生活ができないどころか、資材費や農薬代も払えない。
…と思っていた矢先、農協職員からニラ育ててみないか?とお誘いをいただいた。

やった事はないけど、とにかく生活にプラスになる思いやってみることにした。

ニラを育ててみて初めてわかったことは、にらにも旬があるということだ。
春、越冬した根っこから出てくるニラはとにかく柔らかく、香りが強い。
ニラの旬は4月の末ごろから5月中旬くらいまでなのだ。

そして、もうもうひとつニラを育ててみてわかったことがある。
選別にとてつもなく時間がかかるということだ…。

ニラのオーダーが来て、前日の朝4時頃に収穫。
その後、ニラの調整作業が始まり、夜の9時まで調整作業をしていた時期もある。
ニラを始めて1年目のことだ。
ニラの育て方もわからない私たちが育てるニラは、とても細く短く調整をしてもしても終わらなかったのだ。

そんな時、両親が中国から来ることになった。
私たちの結婚式に出席するため、3ヶ月ほど前から一緒に生活することになったのだ。

両親も、私たちの調整が終わらないことを心配して、ニラの選別を手伝ってくれた。
報酬は、「ニラ食べ放題」という超絶ブラック条件で。

ニラが好きな父は、最初は喜んで食べたいたけれど、途中からは香りも嫌になる程一生分食べたと、食べなくなった。
「ニラ食べ放題」が報酬だったはずが、この時点で報酬なしが確定した。

数年後に聞いたのだが、その時にニラを食べ過ぎて、いまだにニラを食べていない…とのことだった。
父に強いトラウマを作ってしまった。

私のニラチヂミは、新潟ならではの米粉をたっぷり使う。
カリカリ、サクサクとした食感と、旬のニラをたっぷりと使ったこの料理はご馳走だ。

年中売っているニラでも春のニラはご馳走になるのだ。
旬を知っていると、なんだか得をした気分だ。

そんなわけで、毎年春になると我が家の食卓にはニラチヂミは欠かせない。
そして、父の「一生分ニラを食べた」というトラウマを作ってしまった申し訳なさが記憶が蘇ってくる。

あの頃はできなかった親孝行を、これからは惜しみなくしていこう。
あの時の「報酬」は数倍にして返すのだ。

▼今の場所から、一歩前へ!
 いつものモッパン料理を一緒に作れるオンラインレッスンはコチラ↓

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

ひかりのアバター ひかり 代表取締役CEO

中国吉林省の朝鮮族の家庭に生まれる。
20歳に日本語を学ぶために来日。
日本語学校を経て大学を卒業後、家電メーカーショールームアテンダントとして働いたのち、夫の高松と共に新規就農。
こどもが生まれたことをきっかけに、キムチ作りを始め、故郷の家庭料理を広く伝えるキッチンカー、料理教室を開始。
今では全国を回って料理を伝えている。

目次