梅干しと記憶と、手仕事の朝に

今日も、起きて窓を開けた。
しめじめとした梅雨時期の朝の空気が部屋に入り込む。
「梅を干すのは、もう少し先かな」そう思いながら、梅酢を一滴垂らした水を一杯。

ほんのりとした酸味と塩気が、汗をかいた身体にすっと染みわたり、
「休む」から「目覚める」へ。身体が切り替わっていくのを感じた朝。


今年の梅は、豊作だった。

畑と、お天道様に感謝しながら──その恵みのおかげで、梅干し作りのレッスンも開催できた。

レッスンでは、おひとり4キロの梅を使って、下処理から仕込みまでを体験してもらう。
梅、砂糖、塩、梅酢などの材料はこちらで用意し、瓶はそれぞれが持参。

洗浄して乾かした梅を、ひと玉ずつ丁寧にヘタを取っていくその時間。


「昔は母に梅仕事を手伝わされたんです」

そう語る生徒さんがいた。

“させられた”から、特別好きな作業ではなかったけれど、嫌いでもなかった。
やがて子どもを授かり、孫ができた。そしてもう一度、梅干しを作りたくなった。

「私も、またこの手で作りたいと思ったんです」

そう言いながら手を動かす姿は、どこか優しく、誇らしげだった。


「小さいころ、祖母が漬けた梅干しのおにぎりが大好きでした」

ある生徒さんは、そう語った。
おばあちゃんはもういないけれど、あの梅干しのおにぎりだけは、今でも記憶に残っている。

けれど、いつの間にか、梅干しはスーパーで買うものになっていた。

「でも、先生が教えてくださるなら──と思って駆けつけました」

そう言ってくれたことが、とても嬉しかった。


私自身、日本に来て初めて“梅干し”というものを口にした。

韓国では、梅はシロップにしたり、梅キムチにしたりと、甘く加工するのが一般的。
塩で漬けて、しかも酸っぱく、しょっぱくする──その方法は、最初とても不思議だった。

けれど、新潟に嫁ぎ、畑で汗を流したあとに口にするその梅干しは、
まるでオアシスのようだった。


今は7歳の息子が0歳の時。梅畑デビューした息子。

ありがたいご縁があって、梅の木を育てるようになった。
そして同時に、私自身も育てられたような気がしている。

この地に移り住み、家族に恵まれ、果物の木をたくさん植えた。
暮らしも少しずつ変わり、子どもも成長し、果樹たちも年々大きくなってきた。

その香りと記憶は、確かに私たちの中に積み重なっていく。


手仕事というのは、ただの作業ではなく、
「温かい気持ちを記憶として刻む行為」なのだと思う。

この梅仕事を通して、そんな気持ちが、また誰かの中にも残りますように。

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