豆もやしは、ごちそうだった

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― 祖母の壺と、母の知恵と、私の後悔 ―

実は、私の祖母の家も農家だった。

私がまだ子どもだった頃、冬休みや長い休みになるたびに祖母の家に行くのが恒例だった。
その記憶は今も強烈に、私の頭と心に残っている。


農家は大変な仕事だと、両親は知っていた

祖母の家は、中国の田舎。
昔の、しかも中国の農村部での農業は、今以上に過酷なものだったと思う。

だからこそ、私の両親は、
農家である夫との結婚に大反対だった。

「どうして金融の仕事を辞めて農家なんかになったんだ」
「どうして苦労して日本の大学まで出たのに、農家に嫁ぐんだ」

そう言って、私の前でも、夫の前でも泣いていた。

それほどに、両親は「農業の大変さ」を身をもって知っていたのだ。


祖母の冬仕事:豆もやしを育てるということ

そんな祖母が、冬になると育てていたのが豆もやしだった。

大きな壺に穴を開けて、ふやかした大豆を入れ、それをあたたかく保ちながら、3時間おきに冷たい水をかける

水は、ポンプで汲み上げて貯めておいた冷水。
冬の寒さのなか、手をかじかませながらの作業だった。

何日かすると、大豆から太くて立派な白い茎が伸びてくる。
それが、祖母の豆もやしだった。


豆もやしは、豊かなごちそうだった

祖母の作った豆もやしは、豆の香ばしさと白い茎のシャキシャキした歯ごたえがたまらなく美味しかった。

ナムルにしても、クッパに入れても、豆もやしキムチにしても、どれもごちそうだった。
お腹いっぱいになるまで、夢中で食べていた。

豆もやしが、ごちそうになる。
子どもだった私には、それがとても嬉しかったのを覚えている。


今では簡単に買えるけれど

今の日本では、スーパーに行けば安価で手に入る豆もやし

でも、その豆もやしを育てている人がいることを、私は知っている。
そして、どれだけの手間と時間と気配りが必要かも、少しだけ知っている。

だから私は、あの祖母の豆もやしを思い出しながら、自分でも育ててみようと挑戦したことがある。

でも——
祖母のような太くて立派な豆もやしは、とうとう育たなかった。


後悔と、これから

あの豆もやしの育て方を、祖母が生きているうちにもっと教わっておけばよかった。

そう思うと、胸がきゅっと痛くなる。

だからこそ、母からはすべてを吸収しようと決めた。
今、そばにいる母がしてくれる料理、手仕事、知恵のすべてを
「後悔しないために、今、全部受け取る」と。

そして、私がその知恵を、これから出会う人たちや、料理教室の生徒さんや、次の世代に向けて、惜しみなく伝えていけたらと思う。


まとめ|壺と、手と、受け継ぐ記憶

祖母の壺の中で育った豆もやし。
それはただの食材じゃなく、生活の柱であり、家族の支えだった。

先人の知恵は、使い方がわからないと、静かに失われていく。

でも、知って、やって、伝えていくことで、その知恵は、今もこれからも、生き続けていく。

私もその一部になれるように、今日もまた、台所に立とうと思う。

白菜キャラ

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この記事を書いた人

ひかりのアバター ひかり waktak cooking class講師

ひかり
韓国家庭料理教室「waktak cooking class」主宰。
中国東北部・朝鮮族の家庭で育ち、祖母や母から“家庭の味”の奥深さを学びました。

いまは新潟で、小さな台所から料理の記憶を伝えています。
香りや湯気とともに、記憶に残る家庭を、もう一度つくるように。

レッスンのことや日々の気づきは、InstagramやLINEでもお届けしています。

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