
― 味の記憶と、安心というスパイス ―
韓国に行くと、私たちはいつもソウル市内に住む姉の家に泊まらせてもらっています。
そこには姉と、彼女の娘と息子、そして単身赴任中の義兄が、週末になると帰ってきます。
賑やかで、あたたかい家族の空気に、私たちもすっかり甘えてしまうのです。
YouTuberおすすめのキンパよりも…
ある日、日本の有名なYouTuberが紹介していたという、人気店のキンパ(韓国の海苔巻き)をテイクアウトして、みんなで食べることになりました。
美味しいんだろうなと期待していたけれど、正直、そこまで感動するような味ではなく、私も夫も「うん、美味しいけど…」とやや控えめな感想。
その時、隣で食べていた高校生の姪っ子が、さらりと言ったのです。
「どこのキンパよりも、お母さんのキンパがいちばん美味しい。ほんとなんだって!」
それを聞いて、私は思わず胸が熱くなりました
多感な時期の高校生が、人前でこんなふうに言えるなんて、すごいことです。
もし私が姉の立場だったら、たぶん泣いてたと思います。
いや、泣いてます。間違いなく。
キンパの味もさることながら、その言葉の裏にある“記憶”や“信頼”のほうが、胸にじんわり染みたのです。

味の記憶って、不思議です
母の味、家族の味、
あの人が作ってくれた料理の味─
ふとした瞬間に思い出しては、たまらなく食べたくなる。
けれど、いざ自分で作ってみても、なぜかあの味にならない。
材料は近いはずだし、作り方もそんなに違わない。
でも、どうしても違う。
ずっとその理由がわからなかったのですが、
最近ようやく気づきました。
その正体は、「安心感」だった
味そのものではなくて、その料理を誰が作ってくれたか、なんですよね。
あの台所の匂い。
湯気の立つなかで聞こえてくる鍋の音。
無言でよそってくれるお椀のあたたかさ。
そういった記憶全部が“味”になっているんだと思います。
レシピなんてなくても、毎回味が微妙に違っても、それでも「美味しい」と感じるのは、安心して食べられる相手がそこにいるから。

キンパは、やさしさのかたち
私たちがキッチンカーで提供しているキンパも、もちろん味にはこだわっているけれど、それ以上にその場にいる人がホッとできる味になってほしいと思っています。
「誰が作ってくれたのか」
「どんな気持ちで届けようとしているのか」
料理の味は、そういう見えない部分でできているのかもしれません。
まとめ|今日もまた、誰かの記憶に残るように
姪っ子の言葉に背中を押されて、改めて自分のキンパにも向き合うことができました。
目の前の人の記憶にやさしいひと皿として残れたなら、それが何よりの喜びです。
今日もまた、しぶとく、丁寧に。
ホッとできるキンパを、届けていきたいと思います。
