その日はなぜか朝5時前に、息子がひとりで着替えを済ませてリビングにやってきた。
いつもは僕や妻に起こされて、メガネをはずしたのび太くんみたいな目で、ぼーっとしたまま夢と現実を行ったり来たりしている彼が、なぜかその日だけはシャキッと起きて、もう支度もすませていた。

本人もよほど嬉しかったのか、家族で書いている交換日記にこんなふうに書いていた。
「今日、ぼくは早くおきました。ママにまけたので、明日はもっと早くおきたいです」
その日、息子は言った。
「朝ごはん、オレが作りたい」
僕とふたりで朝ごはんを作ることになった。
「ごはんを炊けて、おにぎりと味噌汁さえ作れたら、ひとりで生きていけるよ」
そんな話をしながら作ったのは、前の日に余ったごはんに「ゆかり」を混ぜたおにぎりと、たまたま買い物で見つけた地物のしじみを使った味噌汁。
前夜、妻が「刺身が食べたい」と言ったので買いに出かけたついでに見つけたしじみ。
翌日の朝ごはんでしじみの味噌汁を作ろうと、砂出しを済ませていたものが、ちょうど冷蔵庫に入っていた。
息子とふたりで、しじみをやさしく洗う。
鍋に水を張り、じんわりと出汁が出るように弱火でゆっくり火を入れていく。
その間に、息子はおにぎりを握る準備をしていた。
「まずは手を濡らすんだよね」
と言って手を濡らし始めたので驚いた。
「なんでそんなこと知ってるの?」
と聞くと、
「だって、ママから教えてもらったよ。手に塩もつけるんでしょ?」
と返ってきた。
——こいつ、もうひとりで生きていけるじゃん。
と思ったら、なんだか胸が熱くなった。
でも、僕の手で握るおにぎりはひとつ作れるけど、彼の手では、まだその半分の大きさしか作れない。
ああ、やっぱりまだ子どもなんだなって、ほっとしたような気持ちになる。
「まずは三角のおにぎり作るね。こっちはママの丸いおにぎり作る」
そう言って、2種類のおにぎりを丁寧に作った息子に、つい、新潟人の食育として欠かせないあの一言を教えてしまう。
「ごはん粒残すと目が潰れるよ。手についたご飯も捨てないでちゃんと食べてね。」
何世代にもわたる“脅し”と“しつけ”のミックス。
お米の尊さを、恐怖とともに叩き込むのが新潟流。
そんなことをしているうちに、しじみに火が入り、香りが立つ。
味噌を溶かし、刻んだネギを加えたら、味噌汁の完成だ。
それが、その日の朝ごはんになった。

ゆかりのおにぎりと、しじみの味噌汁だけ。
たったそれだけの食卓なのに、こんなにも愛おしく、あたたかい。
「がんばった」に正解の形なんてないと思う。
ミシュランスターシェフの「がんばった」と、小学二年生の「がんばった」は、同じじゃない。
誰が、誰のために作ったのか。
そのことこそが、料理のいちばん大事なことなのかもしれない。
僕は、その日息子が作ったおにぎりと味噌汁にかなう料理なんて、他にはないと思っている。
きっと、家族が作るごはんが美味しいのは、それがわかっているからなのだ。

たまには肩肘張らずにご飯を作ろう。
それでも家族はわかってくれる。
だから私たちは、
「ちゃんと作らなきゃ」に疲れたあなたにこそ、やさしい台所の時間を届けたいと思いました。
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