スンドゥブチゲの香りからはじまった

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― 食べる女から、作る女へ ―

ある日、私の住んでいた場所の近所に、スンドゥブチゲ専門店ができた。

その店の前を通るたび、香ばしくて、ちょっと刺激的な辛味の香りがふわりと鼻をくすぐる。

その香りを、私は今でもはっきりと覚えている。


「匂い」は、記憶のスイッチ

「匂い」というものは、不思議と記憶に残る。
それは味よりも、景色よりも、言葉よりも強く、ある日ふいに、何年も前の気持ちを連れてくる。

その香りを嗅いでいたあの時、なぜか私は「スンドゥブチゲ専門店を開きたい」と思った。

なぜそんなことを思ったのか、今となってははっきりしない。
でもきっとその頃から、私はすでに「食べるだけではなく、食に関わりたい」と思っていたのだろう。


「食べる専門の女」だった私

他の記事にも書いたけれど、私はずっと「食べる専門」の女だった。

モドゥムジョンジョン(盛り合わせのジョン)はいつも食卓に並んでいた。
ズッキーニ、とうもろこし、じゃがいも、白菜…。

ジョンという料理は、とても庶民的で、そして何より季節を一番感じられる料理だった。

私はそれを、ただただおいしく、もりもりと食べていた。


食べることが好きな女、農家になる

そんな私がある日、農家になった。

「自分の好きなものを、好きなだけ食べられる」
そんな夢のようなイメージが、私の背中を押したのだと思う。

美味しい果物に、新鮮な野菜。
それらを使って、豊かな食卓を囲む毎日…。

そう思っていた。

でも、現実はそんなに甘くなかった。


忙しすぎて、料理どころではなかった

農家の日々は、とにかく忙しかった。

果物の管理、雑草取り、出荷準備、天気との闘い。
「食べる」どころか、「作る時間」すらなかった。

食卓は思い描いていたようなものではなく、
簡単な炒め物や味噌汁で済ませる日も多かった。


妊娠をきっかけに、私は「作る女」になった

息子を妊娠したことをきっかけに、私は農業から少し距離を置くようになった。

そして、その時からキムチを漬けることに専念するようになった。

初めて漬けたキムチの手応え。
漬けたキムチを食べたときの家族の顔。

その瞬間から、私は「食べる女」から「作る女」へと変わった。


キッチンカー、そして料理教室へ

キムチを漬けられるようになってからは、「他の料理も作ってみたい」という思いがふつふつと湧いてきた。

そして始めたのが、韓国料理専門のキッチンカー

ありがたいことに、たくさんの方が私の料理を喜んでくれた。
それを見て、「この料理を自宅でも作れるようになってほしい」
そう思い、次に始めたのが料理教室だった。


まとめ|食べる女が、作る女になった理由

スンドゥブチゲの香りから始まった、私の食の道。

気づけば、「食べたいから作る」にとどまらず、「作って誰かに食べてもらいたい」という気持ちが育っていた。

食べることが好きだった私が、誰かの「おいしい!」を支える側に回っていることが、今はなんだかとても不思議で、とても誇らしい。

あの香りをもう一度嗅いだら、また違う何かが始まるかもしれない。

白菜キャラ

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この記事を書いた人

ひかりのアバター ひかり waktak cooking class講師

ひかり
韓国家庭料理教室「waktak cooking class」主宰。
中国東北部・朝鮮族の家庭で育ち、祖母や母から“家庭の味”の奥深さを学びました。

いまは新潟で、小さな台所から料理の記憶を伝えています。
香りや湯気とともに、記憶に残る家庭を、もう一度つくるように。

レッスンのことや日々の気づきは、InstagramやLINEでもお届けしています。

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