3年前、ソウルにいる姉と電話で話した。
私が料理教室をはじめようとしていることにふれたとき、姉は少し心配そうな声で言った。
「でもあなた、料理学校も出てないし、有名な料理家のところでアシスタントもしてないでしょ?
それに飲食店で修行した経験もないのに……人に教えて大丈夫なの?」
——たしかにそうだな、と思った。
姉の言うことは正論で、実績や資格を重んじる人にとっては、私の教室なんて、たしかに頼りなく映るのかもしれない。
それでも、私は料理を教えたいと思った。
なぜなら、肩書きや経歴をすべて取り除いたとしても、「自分で作った料理が、一番おいしい」って、心から思えたから。

そして何より、家族がその料理を食べて「美味しい」と笑ってくれた。
その笑顔が、私にとって一番のご褒美だった。
ああ、私の気持ちは、ちゃんと届いている。
そう思える瞬間が、たまらなく嬉しかった。
——もしかしたら、この気持ちを分かち合える人が他にもいるかもしれない。
そう思ったのが、料理を教えようと決めたきっかけだった。
昔、電気代が払えなくて、契約アンペアを下げてドライヤーを使うとブレーカーが落ちるような生活をしていた。
農業をはじめた頃は、「まずは食べて、生きなきゃ」と、ひもじい思いをしたこともあった。

でもそんなときも、私たちはいつも「美味しいもの」を思い描いていた。

美味しい梨を育てよう。
美味しいシャルドネを作ろう。
一所懸命に働いた日には、美味しいごはんを食べようって。
その想いで、今日までやってきた。
だから今、夫や息子が「美味しい」と笑ってくれる料理は、
私にとって何よりも価値のあるものになっている。
今は、調味料も食材も、かんたんに手に入る時代。
それでも私は、だからこそ思うのです。

丁寧に、気持ちを込めて料理をすることのよろこびを生徒さんたちと分かち合いたい。
うまくいかない日も、台所に立てば、気持ちが少し整っていく。
料理は、わたしのやさしさのかたち。
それを信じて、私は、今日も教室で包丁を握っています。