子育てをしていると、「わかってるのに、また怒ってしまった」と思うことがある。
冷静でいたい、
優しくしたい、
信じて見守りたい─
そう思っているはずなのに、現実はうまくいかない。
どうして、怒ってしまうんだろう。
どうして、うまく向き合えないんだろう。
今日は、そんなふうに悩みながら生きている父親としての、僕の記録です。
また息子を怒ってしまう。
どうしたらやってくれるんだろう。
どうしたら直してくれるんだろう。
そればかりが頭の中で渦巻いて、目の前の息子をちゃんと見れていないのかもしれない。
そんなことを思って、また僕の体は罪悪感でいっぱいになる。
息子は、よく上の空になる。
正直、何を考えているのかわからない。
…というよりも、何かを考えているのか、それとも何も考えていないのか。
それすらもわからない表情で、僕たちに接してくる。
その表情が、なんだかバカにされたような気がして、それに対しても僕はイライラが止まらなくなってしまう。
そのたびに、「こんな親でごめんね」と、泣きたい気持ちになる。
どうやら息子は、自由人らしい。
僕が「自由」とはかけ離れた人間で、「ルール」や「常識」という言葉のレールに乗って生きているような人間だ。
そんな僕からしたら、息子の自由さは、うらやましくもあり、許せないものでもある。
自由が何かをちゃんと知らない自分が、自由しかない息子のことを理解できるのか。
そう思うと、自信がなくなる。
宿題の計算問題をやっているとき、目線は窓の外に向けられて、なかなか帰ってこない。
ごはんを食べていたはずなのに、いつの間にか箸を持ったまま横になっている。
そんなとき、僕はまず「注意」をする。
でも、一分後にまた同じことをする息子に対して「怒って」しまう。
待てない。
これが僕の最大の欠点だと思う。
待てないということは、「信じてあげられない」ということなのかもしれない。
そう思うと、また僕の体は罪悪感でいっぱいになる。
明日は一度も怒らずに見守ろう。
明日は、笑顔で息子と過ごそう。
そう思っても、また「できない」息子に対して、僕は怒ってしまう。
「オレは、家族三人で仲良く暮らしたいだけなんだよ。パパが怒るの、見るのイヤだ」
泣きながら外に出ようとする息子の背中に、僕の心は、ひどく打たれてしまった。
「こんな親でごめんね」
またそう思って、罪悪感に体を支配されて重くなる。
息子が、自由に生きられなくなってしまうんじゃないか。
僕の言葉や態度が、この子に大きな傷を残すんじゃないか。
そんな不安で、その日は眠れなかった。
7年間、息子と向き合ってきたつもりだったのに、僕はこの子のことを何ひとつ理解できていないのかもしれない。
この子は、自由な子。
そうわかっているはずなのに。
今日もまた僕は、怒ってしまった。
この文章は、自分自身の記録です。
誰かに教えたいわけでも、正しさを語りたいわけでもありません。
それでも─
「自分もそうだった」と思ってくれる誰かがいたなら、少しだけ、心が軽くなるような気がしています。
この話には後日談があります。
この眠れない日の翌日、僕と息子の変化の記録です。
