家族で育てるキムチの物語②

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前日

「彼は、夢があるんだ。しかも夢を叶うために行動に移している。立派だよ。」

これを母に言った瞬間、私は自分に何が足りないかが分かった。
そう、私は夢がないんだ。
ただの平凡な社会の流れに生きている。

「夢が農家で農作業するのが夢なの?それは、誰でもできるし、その収入で二人の暮らしを賄える?現実は厳しいよ。苦労したことないからわからないのよ、あなたは。今は出会って好きな時期だからと思うけど、生活となると違うからね。」

母はいつも間違った事がない。
今回もきっとそうだなと思った。

そして、利行が好きな事も間違いないから辛いのだ。

母の話に納得しているが私は…。
初めて母との信頼関係にひびが出た気がした。
そして、とうとう私はスッカラ(スプーン)をおいた。

目の前にはデンジャンチゲ、サムギョプサルとたくさんの冬野菜、そして大好きな母の白菜キムチと唐辛子ジャンアチやヨルムキムチなどの母の手作りの食卓が、まだたくさん並んでいた。

当日

その翌日、利行が来た。
仁川空港から最寄りのバス停まで来た利行をそこまで私が迎えに行き、家に着くと父と母と姉が私たちを出迎えた。
季節に合わない服装だな~寒いんじゃない?と母は玄関にいる利行を見てそう思ったらしい。
後々この話を聞いてやっぱ母は母だなと思った。

「ジョヌン タカマツラゴ ハムニダ。イルボン ニイガタソサルゴ イスムニダ。ノサンハコ イスムニダ。ベ ヤンベ ハコイスムニダ。」

と自己紹介はとてもたどたどしく話してくれた。
緊張しながらも誠意のある言葉だったと母は感じたらしい。

「うちの娘は、農家に嫁ぐのは母としてとても心配、苦労が目に見えているよ。苦労させたくないんだよ、両親としては」と毋が言う。

「一所懸命仕事をしてひかりを大切にします。」
と言う利行に、母は涙を流した。
目の前にいるのは誠実そうな青年だけど、農家という苦労が絶えない暮らしに娘を預けるのにはあまりにも心が痛んで涙をこぼしたと、のちのち母は言っていた。

その母をみて私も胸いっぱいになったけど、うんと堪えた。

「利行とならどんな苦労でも乗り越えられるよ、大丈夫」
そう母に言うと、母はもう何も言わなかった。
私と利行はとても強い信頼関係を築いている事を母は気づいたのだろう。

そして、父は茅台酒を出した。

私たち家族は、ようやく利行を家族として迎え入れたのだ。

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この記事を書いた人

ひかりのアバター ひかり 代表取締役CEO

中国吉林省の朝鮮族の家庭に生まれる。
20歳に日本語を学ぶために来日。
日本語学校を経て大学を卒業後、家電メーカーショールームアテンダントとして働いたのち、夫の高松と共に新規就農。
こどもが生まれたことをきっかけに、キムチ作りを始め、故郷の家庭料理を広く伝えるキッチンカー、料理教室を開始。
今では全国を回って料理を伝えている。

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