
忘れられそうな食材に、
もう一度手を添える
ずいき。
名前は知っていても、台所で使ったことがある人は、今どれくらいいるのだろうと思います。
私にとっても、どこか
「懐かしいけど、あまり使わない」
そんな食材でした。
だからこそふと気になって、周りの農家のお母さんたちに聞いてみたんです。
「ずいきって、最近使いますか?」
返ってきたのは、少しさびしい答え
多くのお母さんたちは、
「うちは味噌汁か、酢の物くらいね」
と言いました。
それでも、まだ使われているほう。
若い農家の友人に聞くと、
「うーん……そもそも、おいしさがよくわからないから、使わないかな」
そんな言葉が返ってきました。
ああ、そうやって少しずつ、静かに“忘れられていく食材”ってあるんだなと思いました。
姉の家で出会った、
意外なずいきの使い方

そんなある日、韓国に住む姉の家へ行くと、姉が大鍋でぐつぐつと、何かを煮込んでいました。
ふたを開けると、そこにはたっぷりのずいきが入ったユッケジャン。
ピリ辛のスープに、たけのこに似たシャキシャキ感が心地よく、噛むたびに味がしみ出してきて、あっという間に体がぽかぽかに。
「これ、ずいき入れたんだよ」
「へえ!すごく合うね」
「乾燥ずいきでもいいよ。なかったらそれ使えば?」
なるほど。
そういう考え方もあったのか、と思いました。
韓国の保存食文化は、やっぱりすごい
乾燥ずいき。
そういえば、母の台所にも吊るして干していた記憶があります。
韓国では、食材をそのまま“今食べるもの”で終わらせない。
必ず“保存食”という形に落とし込んでいく。
干す、漬ける、煮しめる、冷凍する……。
それは単なる保存ではなく、次の季節や未来の自分たちへの思いやりなんだと思います。

忘れられそうなものに、
もう一度目を向ける
ずいき。
なんとなく地味で、扱いづらそうで、食卓の主役にはならない食材。
でも、それは使い慣れていないだけかもしれません。
本当は、スープにも、炒め物にも、煮物にも、
いろんな顔を持っていて、組み合わせ次第でどんどん変化する。
忘れられていく前に、「こんな食べ方もあるよ」と、誰かが伝えてくれたら。
姉のユッケジャンは、私にとってそんなひと皿でした。

ずいきと共に受け継ぐもの
食材には、「味」だけでなく「記憶」や「つながり」も含まれていると思います。
だから、誰かが静かに受け継いでくれているだけで、未来の食卓が少し豊かになる。
乾燥ずいきを戻して、じんわり火を入れて、家族のために鍋をかける。
そんな時間の中に、私は命をつなぐ手しごとを見るような気がしました。
「もう作られなくなった野菜」のひとつにならないように。
今日の台所でも、ずいきにそっと手を添えていきたいと思います。