
― 母が焼き続けた、出来立ての愛情 ―
この料理も、母が作ってくれて印象に残っているもののひとつだ。
ジャガイモチヂミ。
母は、座らない
この料理が食卓に並ぶ時、母が座ることは、まずない。
「出来立てが美味しいから」と言って、ずっとキッチンで焼き続けている。
焼いては運び、また焼いては運び、食卓はまるで“ジャガイモチヂミのわんこそば”状態。
食べているこちらは、熱々をどんどん味わえる。
でも気がつくと、こちらがギブアップ。
母の勝ちだ。

ジャガイモチヂミは、「時間」を食べる料理
ジャガイモチヂミは、出来立てが命だ。
焼きたては、チップスのようにカリカリで、外はパリッと香ばしく、中はホクホク。
でも、ほんの少し時間が経つと、しんなりとして、ベチャッとしてしまう。
この料理は、“時間を食べる”料理なのだ。
母は、自分の時間を差し出していた
そうして思う。
母は、自分の時間を犠牲にして、家族に「美味しい時間」を与えていたのだと。
自分が席につくことなく、誰よりも遅く食べ始め、時には食べないまま台所を片付ける。
でも、文句を言うでもなく、焼いて、運んで、笑っていた。
「料理は愛情」とは、ほんとうのことだ
「料理は愛情だよ」
そんな言葉、昔からよく聞く。
でも、その本当の意味を、母のジャガイモチヂミを思い出して、やっと少しわかった気がする。
ご飯を作っても、見返りなんてない。
感謝されるとも限らない。
それでも、「美味しい」と笑ってくれる顔が見たいから、
今日も台所に立つ。

私は、まだその域にはいない
正直に言うと、私はまだその境地には達していない。
出来立てを食べたいし、自分も「おいしい」と思える瞬間を逃したくない。
ついつい、「食べたい」が勝ってしまう。
でも、母のように“人のために焼き続けられる人”に、いつかなれたらいいなと思っている。

まとめ|出来立ての香ばしさと、焼き続けた愛
ジャガイモチヂミの香ばしい匂いは、キッチンから食卓まで、ふわっと広がってくる。
でも、それよりももっと広がっていたのは、母の時間と、母の愛情だったのかもしれない。
あの時のカリッとしたひと口を思い出すたびに、私はまた、自分の「料理」について考える。
