失敗から生まれるやさしい味|母と挑んだペクソルギづくり

料理がうまくいかない日って、ありますよね。でも、そんな日は、なぜか心の奥に深く残ったりします。
今日は、母と二人で挑んだ餅作りの、ちょっと失敗した、でもかけがえのない一日のことをお話しします。

目次


「ごはん」が「餅」に変わる魔法

子どものころ、私はとにかくお米が大好きでした。

もち米だけでなく、うるち米でできたお餅にも目がありませんでした。
もちもちと、少しボサボサとした独特の食感。口の中の水分を吸っていくようなその感覚が、私はなぜか好きでした。

特に記憶に残っているのは、韓国の伝統餅「ペクソルギ」。

蒸し器から立ち上る湯気の中で、ゆっくりと膨らんでいくその姿は、まるで“ごはん”が“お菓子”に生まれ変わる魔法のようでした。


「作る」から「伝える」へ

今、私のアトリエには、両親が滞在しています。
朝には母と饅頭(まんとう)を作ったり、5年ぶりの母の料理を食べたり。

今日はそんな日常の中で、ふと「一緒にシルトクとペクソルギを作ってみよう」と思い立ちました。
子どものころ食べていた味を、自分の手で、そして母と一緒に再現してみたくなったのです。


米を「粉」に戻すという工程

しかし、これが思っていたよりはるかに難しかった。

まず、うるち米をしっかり水に浸し、柔らかくなったら乾かす。
乾いたらミキサーで砕いて、ふるいにかけて、ようやく“粉”に。
さらにそこに水分を加えながら、ちょうどいいしっとり加減に整えていきます。

「これくらいかな?」
「いや、まだちょっと乾いてる?」

何度も触って確かめて、母と二人で首をひねります。


うまくいかないからこそ

そして、蒸す工程。

蒸し器に布を敷いて、生地を優しく乗せて、蒸し始める。
…が、固まらない。

「なんでだろう?蒸し時間が足りなかった?」
「水分が多すぎた?」

母がぽつりとつぶやきます。

「この餅はね、お祝い事のときに買って食べるもの。家ではあまり作らなかったのよ」

なるほど、母の“家庭の味”ではあっても、“家庭で作る味”ではなかったのです。


失敗の中にある「思い出の種」

何度も失敗しました。
それでも、粉の手触り、水分の加減、布に残った香り――
その一つひとつが、私の記憶を刺激します。

昔、あんなにおいしく感じた餅の味を、私はどれくらい正確に覚えているんだろう?
それをもう一度食べたくて、母と一緒にキッチンに立つ自分が、なんだか愛おしくなりました。


伝統を“味”だけでなく“記憶”として伝える

結局、今日のペクソルギも、「お店で売っているような仕上がり」には程遠かった。
でも、一口食べて思いました。

――あ、これ。なんだか、懐かしい。

ちょっといびつで、もちもちして、でも乾いた感じもあって。
確かに、私が昔食べた“あの味”の片鱗が、そこにありました。

失敗は、暮らしの中にあるもの

失敗はいつでも暮らしのなかにあります。
でも、そこには学びがあり、発見があり、笑いがあって、何より思い出がある。
今回の挑戦は成功とは言えなかったけれど、
次につながる第一歩だと思っています。

いつかこの味を、生徒さんに、自分の子どもに伝えられるように。
今日もまた、母と失敗しながら作っていこうと思います。


おわりに|あなたの「お米の思い出」は何ですか?

あなたの家庭には、どんな“お米の記憶”がありますか?
おにぎり、おこわ、おはぎ、白いごはん――
そして、たまに作った“手作りのお餅”。

一見シンプルな素材が、手間ひまとともに豊かな記憶になる。
それが、私たちの食卓の、かけがえのない魔法なのかもしれません。


waktak cooking classの公式LINEでは、こんな風に、日々のアトリエでの気づきや、もう少し実用的な母からの教えなどを週2回そっと共有しています。

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この記事を書いた人

ひかりのアバター ひかり waktak cooking class講師

ひかり
韓国家庭料理教室「waktak cooking class」主宰。
中国東北部・朝鮮族の家庭で育ち、祖母や母から“家庭の味”の奥深さを学びました。

いまは新潟で、小さな台所から料理の記憶を伝えています。
香りや湯気とともに、記憶に残る家庭を、もう一度つくるように。

レッスンのことや日々の気づきは、InstagramやLINEでもお届けしています。

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