忘れそうになった実家の味

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旅の終わりに見つけた、
母のソンマッ(손맛)

実家に帰るたびに「何食べたい?」と母が聞いてくれる。

けれど最近は「なんでもいいよ」と答えてしまうことが多くなった。

あれもこれも、もう何度も食べた味だから。

なのに、ふとある瞬間、それを“忘れそうになっていた”自分に気づいて、ぎょっとした。


ソンマッ ― 手に宿る味

韓国語で「손맛(ソンマッ)」という言葉がある。
直訳すれば「手の味」。

けれど、その言葉の中には、単なる「調味」の話だけでなく、人の気配や愛情、記憶の質感までが含まれている。

今回の旅で食べた実家のごはんは、まさにそのソンマッだった。

にんにくの刻み方、味噌の塩気の加減、ナムルの水気の絞り具合……。

どれもレシピでは言い表せない「母の手の感覚」があって、私は一口ごとに、自分の中のなにかが戻っていくような気がした


あの味が、今の私を作っていた

気づかないうちに、自分の料理には母の手が宿っていた。

ナムルの盛りつけ方も、味噌汁の濃さも、すべて無意識に真似していたのかもしれない。

でも、いつの間にかその感覚は、日々の忙しさに埋もれていた。

きちんと向き合わないと、料理の中の「記憶」は、あっという間に遠くなってしまう。

今回の帰省で食べた、なんてことのないご飯。

それが、この旅で得た一番の価値だったと、今ならはっきりと言える。


実家のごはんには、手の記憶が宿る

母が作ってくれたあのごはんは、「うちの味」としか言いようのない、絶妙な加減があった。

甘すぎず、辛すぎず、でもどこかやさしくて深い。

どんなレストランの料理にも出せない「余韻」が、そこにはある。

それはたぶん、手の中に染みこんだ時間や感情が、味ににじんでいるから


私もまた、誰かにソンマッを渡していく

いつか、自分のごはんも、
誰かにとって「実家の味」と呼ばれるものになるのかもしれない。

料理教室でレシピを教えるときも、
生徒さんに伝えたいのは「正確な分量」だけじゃなくて、
手の中に宿る感覚の大切さだったりする。

母のソンマッが、私の中に残っていたように、
私のソンマッもまた、誰かの記憶になればいい。


忘れそうになった味を、
もう一度迎えにいく

時々でいい。
ほんの少し、立ち止まって思い出せばいい。

いつもより少し丁寧ににんにくを刻んで、
味噌汁をひとくち味見して、
「これ、あの味かな?」と確かめる時間。

忘れそうになった実家の味は、
いつでも私たちの台所のすぐそばに、
静かに戻ってくるのかもしれません。

あなたの台所にも、そっと思い出が戻ってくるような、そんな時間を。

教室では、「ソンマッ」を一緒に感じながら、季節のごはんを仕込んでいます。

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この記事を書いた人

ひかりのアバター ひかり waktak cooking class講師

ひかり
韓国家庭料理教室「waktak cooking class」主宰。
中国東北部・朝鮮族の家庭で育ち、祖母や母から“家庭の味”の奥深さを学びました。

いまは新潟で、小さな台所から料理の記憶を伝えています。
香りや湯気とともに、記憶に残る家庭を、もう一度つくるように。

レッスンのことや日々の気づきは、InstagramやLINEでもお届けしています。

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