
― 特別だった“あの料理”と、母の習慣 ―
子どもの頃、あまり外食をした記憶がない。
いつも家で、母が作ったごはんを食べていた。
「外で食べる」という選択肢がなかった
そんなふうに育った私は、今でもあまり「今日は惣菜で済まそう」とか、「外に食べに行こう」という発想がない。
たとえ仕事で夜7時になっても、自然と「何を作ろうか」と考えながら帰ってくる。

夫のひとことで、はっとする
そんなとき、決まって夫の高松が言うのは、
「惣菜買うか、外に食べに行かない?」
その言葉に私は、毎回少し驚きながら、「あぁ、そうか。その手があったか。」と、ようやく気づく。
そのくらい、私の中にはまだ強く、「母はどんなときも手料理を作る人」という像が根づいている。

「およばれ」で出会った、あの料理
そんな私が、はじめてその料理を食べたのは、自分の家ではなく、友達の家にお呼ばれした時だった。
テーブルに置かれた、甘辛い香りのお肉の料理。
香ばしさと醤油だれのしょっぱさ、白いごはんが止まらなくなるあの味に私は夢中になった。
「なんて美味しいんだろう…!」
その時のことは、今でも鮮明に覚えている。
カルビチムである。
カルビチムはハレの日のごちそう
あれは、おそらくハレの日のごちそうだったのだと思う。
友達のお母さんが、「うちの子の友達が来るから」と少し奮発してくれたのかもしれない。
そう思うとなおさら嬉しくて、その料理は私にとって「特別な味」になった。
今は手に入る。でも、かつては特別だった
今では、お肉なんていつでも手に入る。
材料だって簡単に揃うし、あの時の味だって、レシピを見れば再現できる。
それでも、私のなかでは、あのカルビチムは今でも特別だ。
なかなか食べられなかった“あの頃”があったからこそ、今もこの料理は、私にとって「ハレの日の味」であり続けている。
もうすぐ、チュソク(旧盆)
もうすぐチュソク(旧暦のお盆)がやってくる。
その段取りも、準備も、買い物も、支度も、すべてが「いい思い出」だと思えるようになったのは、自分が親になり、作る立場になったからかもしれない。
そして私は、今日もまた、仕事終わりに「ごはん、何にしようか」と考える。
母のように。
あの頃のごちそうの味を思い出しながら。
