「わたし、何してたんだっけ?」
これは、waktak cooking classに来てくださったある生徒さんが、帰り際にふと漏らした言葉です。
食べさせて、
片付けて、
寝かせて、
起きて。
今日が火曜か木曜かも曖昧なまま、1日が終わっていく。
それでも家族のために台所に立つ毎日。
誰にも文句を言われていないのに、自分がどこかへ置き去りになっていく感覚がある——
そんな時間を、絶賛子育て中の僕たちもよく知っています。
料理が「義務」から「余白」になった日

waktak cooking classは、新潟の小さな集落にある、韓国家庭料理の教室です。
- 少人数制で、子連れでも参加OK
- 季節の野菜や発酵調味料を使った家庭料理
- 杉の一枚板のテーブル、大きな梁のある静かな空間
ある日、一人の参加者が、まだ歩き始めたばかりの子どもを連れて来てくれました。
その日は、チヂミとスープ、そしてヤンニョムで和える副菜をつくるレッスン。
子どもは薪ストーブの前で、息子が保育園時代に使っていた布団の上でご機嫌に声を出し、母親は、講師であるひかりの声に耳を傾けながら、野菜の下ごしらえをしていました。
“家では焦って炒めていた野菜を、教室では、音を聞きながら炒めていた”
そう話してくれたその方の顔が、レッスンの終わる頃には、どこか晴れやかに見えたのを覚えています。
「こどもがいてお騒がせしてすみませんでした…」
他の生徒さんに向かってそういった母親でしたが、周りの方はすでに子育てを終えたベテラン生徒さんたち。
「すごくいい子でしたよ!久し振りに赤ちゃんの声聞いたからすごく幸せな気分!こちらこそありがとう。」
そんな言葉が返ってきて、その空間はとても幸せな空気が流れていました。
子育ての中に、小さな逃避行を

レッスンの最中、何か特別なことが起こるわけではありません。
包丁の音がして、蒸気が上がり、キッチンの奥からひかりの声が聞こえる。
季節の野菜の香りやごま油の音に耳を澄ませながら、ひかりを中心にして参加者それぞれが、自分のペースで手を動かしていきます。
- 料理を習うというより、“料理のある暮らしを体験する”
- 知らない人同士でも、なぜか安心して話せる空気
- 食べ終えたあとに、深呼吸したくなる感覚
教室では、生徒さんの手元をひかりが丁寧に見つめ、何度でもやさしく声をかけます。
一見シンプルな調理の時間が、
“今の自分でいいんだ”
と思える時間に変わっていく。
その静かな変化を、わたしたちは何度も目にしてきました。
家族のためにじゃなく、自分のために食べたごはん

「ここで過ごした数時間が、家に帰ってからのごはんまで変わりました」
という声もいただきます。
たとえば、帰宅していつものようにお味噌汁を作ったとき、
その味に少しだけ優しさが増していたとしたら。
たとえば、子どもに出すチヂミを焼きながら、
「自分にも、あたたかいものを食べさせたいな」と思ったとしたら。
それは、waktakで過ごした時間が、
その人の中でちゃんと“自分を思い出す記憶”になったということ。
わたしたちが料理教室という形で届けたいのは、
技術やメニューではなく、
「台所を、自分の居場所に取り戻す体験」
なのかもしれません。
同じように感じている方へ

- waktak cooking class(新潟市江南区・定員4名)
- 子育て中でも通いやすい、やさしい韓国家庭料理レッスン
- キムチ、チヂミ、冷麺、季節の発酵副菜など
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