地上と地下、ひとつの蓮の不思議

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― 光と闇をともに抱える植物 ―

地上と地下。
それは、まるで別の世界。

太陽が燦々と降り注ぎ、風が吹き抜ける場所にいるのは、
広く大きな蓮の葉と、凛と咲く蓮の花

一方で、地中深く、
空気も光も届かない、真っ黒な泥の中に潜んでいるのは、蓮根(れんこん)

同じ植物なのに、まったく別の世界に生きているように見えるのです。


天国と地獄のような世界観

光を浴びて空へと向かう葉と花は、
見ているだけで心が晴れるような美しさ。

けれどその命を支えているのは、
水面下、泥の底に隠れるようにして伸びる、れんこんの存在です。

しかもその世界は、逃げ道もなく、
動けば動くほど濁るような、ドロドロとした深い泥。

蓮の花を見ていると、
そこにあんな世界があるとは、想像もできない。

まるで、天国と地獄のよう。


それでも、ひとつの命

けれど不思議なことに、
あの泥の中にこそ、あの花を咲かせる力がある。

ドロの中に蓮根がなければ、
地上に花は咲かない。

どちらか一方ではなく、相反するふたつの世界が一体となって
ひとつの蓮という植物を成り立たせているのです。


人の心にも似ている

どこか、人の心にも似ているように思います。

誰もが表には見えない泥のような部分を持っていて、
それを抱えたまま、日々を生きている。

でもその泥があるからこそ、
ふとした瞬間に咲く「花」のような言葉や行動が、輝いて見える。

泥を否定するのではなく、
そこにあることを認めて、
それを栄養にできる人が、きっとしなやかに咲ける人なのだと思います。


蓮根を料理するということ

れんこんは、どんな料理にもよく合います。
煮ても、炒めても、揚げても、すりおろしても。

その食感と、ほんのりとした甘み。
そして、穴の空いた断面。

あの穴は「先を見通す」ことに通じるとして、
縁起物としても昔から親しまれてきました。

だけど今日、れんこんを刻みながら思ったのは、
あの泥の中にじっと身を沈めていた時間のことでした。

きれいな葉や花よりも、
その影で土を吸い込んで育ってきた姿こそ、
一番すごいのかもしれない、と。


まとめ|違う世界にいながら、つながっているということ

地上と地下。
光と闇。
美しさと泥くささ。

まるで真逆の場所に生きているように見えても、
それらは決して切り離されてはいない。

どちらも大切な、ひとつの命。
それが、蓮という植物が私に教えてくれたことでした。

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白菜キャラ

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この記事を書いた人

ひかりのアバター ひかり waktak cooking class講師

ひかり
韓国家庭料理教室「waktak cooking class」主宰。
中国東北部・朝鮮族の家庭で育ち、祖母や母から“家庭の味”の奥深さを学びました。

いまは新潟で、小さな台所から料理の記憶を伝えています。
香りや湯気とともに、記憶に残る家庭を、もう一度つくるように。

レッスンのことや日々の気づきは、InstagramやLINEでもお届けしています。

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