料理は、母語に似ている

料理ってどうやって身につくと思いますか?

学校で習うように、ノートに書いて覚えるものでも、正解があるものでもない。

きっと私たちは、

台所から聞こえてきた包丁の音、
すっと立ちのぼる湯気の匂い、
誰かの背中や手の動き

そんなことから、少しずつ “料理ということば” を覚えてきたのだと思います。

これは、そんな「もうひとつの母語」としての料理のお話です。

目次

ことばを教わるように、料理も育つ

分野が違う料理家と同じキッチンに立っている様子

母語というのは、誰かから教わって覚えるものというより、日々の中で、耳から、表情から、空気から「自然に」身についていくものです。

母の言葉を繰り返し聞いて、まねして、知らぬ間に使えるようになっていたように。

小学2年生の息子に韓国語を話せるようになってほしくて、日々単語の勉強をしています。

…が、なかなか覚えられずに苦労しています。

でも、中国から韓国語を話す両親が来日し、家の中が韓国語であふれると、息子はいつの間にか韓国語を話そうと、その単語はなんだろうと、考えるようになりました。

大事なことは、その環境に身を任せること。

料理も、同じような側面があります。

レシピを学んだからではなく、音や香りに気づき、その時には「知っていた」という感覚。

私は、小さな頃から、母の動きに目を凝らすのが好きでした。

包丁の音、にんにくの香り、醤油の色の変化、全てが「ことば」だったのです。

だから、レシピだけでは伝えきれない

高菜キムチを漬けている様子

料理教室を開いていてよく思うのは、

「レシピで伝えきれないことがたくさんある」

ということ。

それは、火加減の“間”であったり、味を見た時の表情だったり。

まるで、イントネーションや間合いが違うと意味が伝わらない母語のように。

キムチを漬け始めた時、母から電話で聞きながら、その通りにやっても、私が食べ親しんだキムチの味にはなりませんでした。

どうしても「あのキムチ」の味にしたい。

そんな想いでまず韓国に住む姉の家に行き、姉からキムチの漬け方を習いました。

それでも満足いかず、最終的には中国から母を呼び、3ヶ月間手取り足取り教えてもらってようやく母の味を再現することができました。

せっかくレシピ化できたそのレシピ。

それでも舌や手の感覚で確かめながら、その時その時でほんの少しずつだけどレシピに誤差が生じる。

でも、このほんの少しの“誤差”こそが、「家庭の味」になるのだと思います。

私がいつも生徒さんに言っていること。

「まずはレシピ通りに作ってみましょう。そこから家族やご自身の味に変えていきましょう」

レシピは設計図のようなもので、最低限の情報ではありますが、それだけでは「家庭の味」や「想い」は届きません。

作り手を媒介して初めてその想いは届くのだと思います。

waktak cooking classが
大切にしていること

キッチンで試行錯誤している様子

私たちの教室では、「こうやれば正解」という一方向の学びより、目の前で起こる変化を一緒に感じながら進めていきます。

母語がそうであるように、「こうして教わったから話せる」ではなく、「暮らしの中で自然に馴染んでいく」ものだと思うからです。

料理は生活であり、愛情のかたち。

教科書ではなく、目の前の人との関わりの中で、豊かになっていくもの。

だからこそ、目の前でつくる。
目の前で感じてもらう。

私たちが大切にしているのは、「味の再現」ではなく「想いの共有」なのかもしれません。

料理という、もう一つの母語を大切に

母から教わった餃子を作っている様子

料理は、言葉よりも前に届く“ことば”。
あたたかい一皿に、込められた記憶や祈り。

それは、国や文化が違っても伝わるもの。

誰かの手から、誰かの手へ。

暮らしの中で息づくもうひとつの母語を、これからも大切に育てていきたいと思っています。

教室では、そんな“母語のような料理”を、目の前で一緒に味わっていただきます。

ご興味があれば、こちらからクラスの詳細をご覧いただけます。

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