
今週のアトリエには、リアトリスやアスタ、ジニアといった花を飾っています。
季節の花々に囲まれながら、ふと「もうすぐお盆だな」と感じました。
そんなとき、家族3人の日記帳に書かれていた夫の言葉が目にとまりました。
大昔、ローマ時代にこんな実験があったそうです。
生まれたばかりの赤ちゃんに、ミルクなどの栄養は与えながらも、目も合わせず、話しかけることもせず、
コミュニケーションを一切断ったまま育てたところ、50人の赤ちゃん全員が1年を迎える前に亡くなってしまった…。
とても悲しい話だけれど、ここから分かることは、
今、私たちが生きているということは、誰かの笑顔や愛情のもとで育まれてきた証拠だということ。
「もうすぐお盆。親やご先祖様に感謝しよう。
今生きているだけで、とてもありがたく幸せなこと。」
その言葉に、なんだか胸がじんわりとあたたかくなりました。
お盆のお墓参りという行事を、今年は改めて心静かに迎えたい。
静かに手を合わせる時間も、またひとつの“暮らし”のかたちですね。

お盆が近づくと、どうしても「生」と「死」について考えたくなります。
今年の5月、両親が我が家を訪れてくれた時のこと。
その日は天気がよく、庭の草木が青々としていました。
父がふと、こんなふうに話し始めました。
「人はいつか死ぬものだ。だけど、それは終わりではなくて“循環”なんだよ。
孫の元気な姿を見て、あなたたち夫婦が支え合って生きている姿を見て、安心した。
お母さんと二人で、今ある命を丁寧に生きてるよ。」
退職して、少しゆっくりとした時間を過ごすようになった両親。
母は杖をつき、足を引きずるようにしながら、少しずつ歩いています。
そんなふたりが、大きな荷物を担いで遠くから来てくれた。
その姿に、「今を生きること」の重みと、美しさを感じました。
未来は限られている。
だからこそ、今この瞬間が、いっそう輝いて見えるのかもしれません。


その思いに触れたとき、私自身にも問いかけてみました。
「私は、何を大切にして生きているのだろう?」
答えは、すぐに浮かびました。
それは、息子にとって「よきお手本でありたい」という願い。
人生って、自分の「好き」を大切にして生きていいんだよ。
自分の選んだ道を、愛して歩いていいんだよ。
そんな姿を、日々の暮らしの中で、伝えていきたいと思っています。

夫がよく言います。
「心配しても、いいことってあまりないよ。
笑っていたほうが、物事はうまくまわる。」
たしかに、心配すればするほど、見えなくなってしまうものがある。
むしろその心配は、起こらないことのほうが多いし、仮に起きたとしても、人生が終わってしまうほどの出来事ではなかったりするものです。
それよりも、目の前にある温かさや、小さな幸せに目を向けていたい。
たくさんの人から愛情をもらって、今を生きていること。
そのことに感謝しながら、私もまた、その循環のなかにいられることを嬉しく思い、日々を丁寧に暮らしていきたいと思います。
