誰かを見送る日は、なぜこんなにも空気が静かに感じられるのでしょうか。
忙しかった日々の名残が、ふとした瞬間にこみあげてきて、
あれも話せばよかったな、
もっと一緒にいればよかったな
と、小さな後悔が優しい感謝に変わっていきます。
今日、私の両親が帰国しました。
本当はもっと一緒に過ごせるはずだった時間を少し早めに切り上げ、私たちはそれぞれの暮らしに戻っていきます。
両親が帰った日、
胸に残る静かな感謝
今日、両親が帰国しました。
うちに滞在していた、ほんの1ヶ月弱。
本当は、3ヶ月ほどゆっくりしてもらう予定だったのですが、父の体調を考えて少し早めの帰国となりました。
アボジ、オモニ─
この1ヶ月間は、長かったでしょうか。
それとも、あっという間でしたか?
空港に迎えに行った日のことは、今も鮮明に思い出せます。
車椅子に乗り、杖を片手にしっかりと握りしめていた父の姿。
ふさふさで真っ黒だった髪は、白く薄くなっていて─
「こんなに年を重ねていたんだな」と、胸がつまる思いでした。

それでもあの体で長旅をして、娘に会いに来てくれた。
今になって思うと、それだけで本当にありがたいことだったのだとじんわりと感謝の気持ちがこみあげてきます。
荷物の半分は、思いやり。
ふたりは、大きなリュックやキャリーケースと段ボール箱まで抱えてやってきました。
その中身のほとんどが、私のための食材。
生徒さんを迎えるために大きく作ったキッチンも、すぐに荷物でいっぱいにあふれかえりました。

つるにんじん
白と黒のきくらげ
冷凍の干し湯葉
かぼちゃの種
ひまわりの種
香ばしいおこげ
搾りたてのえごま油
ごま油
在来作りの醤油まで。
どれも、私が「料理をする」と言ったから、なんとしてでも、役に立ちたいと思ってくれたのでしょう。
自分の体のことは二の次。
まるで“ミッション”のように、リクエストした食材を一つ残らず揃えて運んできてくれた姿に、胸がいっぱいになりました。
台所で交わす、いつもの会話。
家に着いてからのふたりは、まるで自宅にいるかのように、あれこれとタッパーにおかずを作ってくれました。
懐かしい味。
でも正直、「こんなにしょっぱかったっけ?」と驚くこともありました。
味覚はいつの間にか変わっていくのですね。
でも、変わらないのは「家族に食べさせたい」というその思いでした。
一緒にキッチンにも立ちました。
私が試作中だったレシピを一緒に味見してくれて、「あら、いいじゃん!」と笑ってくれたときは、嬉しくてたまりませんでした。
父には日本の茶碗蒸しをつくってあげました。
なめらかな舌触りとやさしい出汁の味に、にこにこと喜んで食べてくれました。
してあげたいと、
してもらいたいの間で。
私が仕事や家事で慌ただしくしているのを見て、母はせっせと手伝おうとしてくれました。
掃除機をかける
茶碗を洗う
床を雑巾で拭く……
うちにはテレビもないので、じっとしているよりは手を動かした方がいい、そう思ったのかもしれません。
でも、お願いしてみて気づいたのです。
母の手足は、もう若いころのようには動かなくなっていること。
茶碗を拭いたつもりでも、水気が少し残っていたり、耳が遠くなって同じことを何度も言わないと伝わらなかったり。
年齢を重ねるということが、こんなふうに日常の動作のなかに表れるのかと─
驚きと、少しの切なさが胸に残りました。
帰る朝、台所は少し広く見えた。
今朝、ふたりは荷物をまとめて空港へと向かいました。

両親が帰ったあとのキッチンは、少しだけ広く感じます。
たくさん並んでいた調味料や食材が、静かにその役目を待っているようです。
慌ただしい日々の中で、うまく感謝を伝えきれなかったことが、今さらになって心に残ります。
もっとゆっくり話せばよかった。
もっと一緒に料理すればよかった。
お互いに、生活習慣が全く違う両者。
些細なことで喧嘩もしてしまいました。
「あぁ、なんでもっと優しくなれなかったんだろう」と、今になって反省してしまいます。
「ありがとう」は、
食卓で伝えていきたい。
親が年を重ねていくのをこんなにも実感する日が来るなんて、少し前の私は思ってもいませんでした。
でも今、確かに感じているのは、「私が料理を続けること」こそが、両親への感謝を伝えるひとつの形だということです。
あのとき持ってきてくれた食材、
一緒に台所に立って過ごした時間、
そのひとつひとつを大切に料理していきたい。
体のことを考えると、もう日本で会える最後だったのかもしれません。
次に両親に会えるのは、故郷の中国か姉の住む韓国になるのかな。
その日まできっと、台所から「ありがとう」を重ねていきます。
この生活から生まれたレシピがたくさんあります。
両親からもらったこの想いを、あなたとシェアして後世まで残したいと思っています。
