台所で起きていることは
ただの「作業」じゃない

買い物に行って、冷蔵庫をのぞいて、今ある材料でごはんを作る。
誰かが帰ってくる時間を思い浮かべて、「今日は何を食べたいかな」と考えて。
できた料理をテーブルに並べる。
それは、見た目にはただの“ルーティン”かもしれないけれど、本当はその全部が誰かの暮らしを支えている。
「いただきます」までのあいだに、どれだけの愛情と工夫と時間が込められていることか。
「ふつうのごはん」は、
どこまでも深く、優しい

特別な日じゃなくてもごはんを炊いて、汁物をつくって野菜のおかずを炒めて。
それだけで十分、すごいこと。
たとえば韓国の家庭料理では、主役になる料理がなくても、小さなおかずたち(パンチャン)が並ぶだけで、食卓がにぎやかになる。
どれもシンプルだけれど、発酵や保存、塩加減や季節の知恵がつまっていて、ただの“家庭のごはん”が、暮らしそのものになる。

母のレシピには、
分量の代わりに“感覚”がある

「ひかりさんの料理は、亡くなってしまった祖母の味に似ていて、父が大好きだったその祖母の味を再現したくて」
こう言ってくださる方がいらっしゃいました。
でも昔の家庭料理って、ちゃんとしたレシピがないことも多いんです。
大さじもグラムも出てこなくて、
「このくらい入れて、味見しながら決めて」
なんて言われる。
特に、日本人の感覚で
「ごま油って、こんなに入れるの?」
なんてこともよくあることです。
だからこそ、その料理には“体の中に染み込んだ味”がある。
それは、長く引き継がれてきた大切なものだと思うんです。

家庭料理は、
世界で一番あたたかい食文化

レストランの料理や華やかなレシピには、つい目を奪われてしまうけれど。
でも、誰かが自分のために作ってくれたごはんほど、しみるものはありません。
とくべつな演出も映えた写真もいらない。
ただ「今日もごはんがある」ということが、どれだけの安心とぬくもりをくれるか。
家庭料理は、世界でいちばんやさしい文化なのだと思います。
そんな「やさしい文化」としての家庭料理を、教室でも丁寧にお伝えしています。
今月のレッスン内容はこちらからご覧いただけます。
▶ 現在募集中のレッスンを見る
