わたしが落ち着くのは、台所に立っている時

家の中で、どこが一番落ち着く場所ですか?
リビング?ベッドルーム?それとも、お風呂?
わたしにとっては「台所」です。
まな板に包丁を当てる音、お湯がふつふつと沸く音、
野菜を炒めたときの香ばしい匂い──
すべてが、静かに心を整えてくれるのです。
朝の支度、子どものお迎え、仕事の締切、夕飯の支度。
毎日があっという間に過ぎていくような日々のなか、
キッチンに立っている時間だけが、
自分の呼吸に戻れるような感覚があります。
まるで、
忙しさの波をゆっくり静めてくれるような「小さな避難所」。
「誰かのため」だけじゃない、わたしのための料理

結婚して、子どもが生まれて、
料理はずっと「誰かのためにするもの」だと思っていました。
でも、ある日。
一人の昼ごはんに、熟成されたキムチでキムチチゲを煮込んだ時、
湯気の立ちのぼるその鍋を見て、ふと心がほどけたんです。
「こんなふうに、自分のために料理するのもいいな」って。
きちんと調えた器に、炊き立てのごはんと味噌汁。
誰にも見せない、誰にも評価されない、
それでも心がほっとする時間。
料理って、「わたしを大切にする行為」でもあるのだと、
そのとき初めて気づきました。
台所には、記憶の層が重なっている

わたしの料理には、母の影響が色濃く残っています。
白菜キムチの漬け方、チヂミの焼き加減、
水に戻した乾燥野菜で作る数々の野菜。
それは全部「レシピ」ではなく、「感覚」として残っている。
思えば、小さいころから「音」や「香り」で料理を覚えてきました。
味つけのバランスも、どこか体に染み込んでいる。
だから今、わたしが台所に立つとき、
どこか懐かしく、安心できるのかもしれません。
料理は、記憶を繋ぐもの。
誰かの手を借りずとも、自分の中にちゃんと残っていて、
それがまた、次の世代に自然と伝わっていく──
そう思うと、台所はとても静かで豊かな場所に思えてきます。
学びは、正解ではなく「感覚」を育てるもの

最近は、いろんなレシピや料理動画があふれています。
簡単・時短・映え──それもいい。
でもわたしは、
もっと静かに、五感を澄ませて料理と向き合いたいのです。
火加減を見ながら香りを感じたり、
素材の声を聴くように調味料を選んだり。
そういう時間が、
わたしの感覚を整えてくれるような気がします。
そして、同じように「自分の軸を整えるような料理時間」を
求めている人が、実はたくさんいることにも気づきました。
だからいま、
その感覚を大切にできる場所をつくりたいと、
小さな料理教室を開いています。
暮らしの延長にある料理教室という場

waktak cooking classでは、
料理を「教わる」というより、
自分らしい台所の風景を一緒に育てていくような、
そんな感覚を大切にしています。
決まった答えを求めるのではなく、
その人の家庭に根づく味、その人のペースに合った調理法。
そういった「暮らしの延長」を、静かに育てていけたらと願っています。
季節の素材を生かした韓国家庭料理を、
少人数で、丁寧に、ゆっくりと。
料理の上手下手ではなく、
「自分の料理に、どれだけ気持ちを込められるか」──
それが、この教室で一番大切にしていることです。
台所に立つ時間は、自分を取り戻すための時間

日々の暮らしの中で、
ほんの少しでも「自分に立ち返る時間」を持てること。
それがあるだけで、気持ちは驚くほど変わります。
料理は誰かのためだけじゃなく、
わたしのためでもいい。
手間を惜しまずに煮る野菜、
じんわり香るだしの湯気。
それらが今日のわたしをつくっていると感じます。
同じように、
料理を通して「自分を整えたい」と願う方にとって、
この場所が静かな灯りになれたら嬉しいです。

waktak cooking classのLINEでは、季節の料理のこと、台所のこと、日々のちいさな気づきをゆるやかに綴っています。
香りや記憶とつながるような、そんな日々の台所のお話に興味がある方は、ぜひお気軽にどうぞ。