
秋の恵みと、
私を豊かにしてくれる食べもの
秋が深まると、畑の根菜たちが力強く育ってきます。
にんじん、大根、ごぼう、れんこん。
土の中で静かに育ってきた野菜たちが、ようやく地上に顔を出して、台所へやってきます。
そして同じように、木の実も豊かになる季節。
栗、なつめ、くるみ、松の実。
一粒ひとつぶに、季節の時間がぎゅっと詰まっているようです。
そんなふうに、食材の幅が広がる秋。
自然と、私の料理のレパートリーや知識も少しずつ増えていきます。

「知る」ことは、心を満たしてくれる
新しい食材を知ること、
昔からある食べ方を知ること。
そのひとつひとつが、私自身の中を耕してくれるような感覚があります。
料理というのは、お腹だけでなく心の中も豊かにしてくれる営みなのだと、秋になるとあらためて感じます。
秋になると、薬飯が炊きたくなる
そんな季節にふと作りたくなるのが、薬飯(ヤッパッ)。
なつめ、栗、鬼胡桃、松の実……
秋の木の実をたっぷりと入れて、もち米と一緒に炊き上げる、韓国の縁起ごはん(おやつ)です。
甘くて、香ばしくて、そして滋味深い。
ごま油と醤油、はちみつや黒糖を加えて炊きあげるその香りは、台所いっぱいに秋の香りが満ちていくような感覚になります。

チュソクに食べる、家族のごちそう
薬飯は、韓国では秋のチュソク(秋夕)に食べられるごちそうのひとつ。
チュソクは、日本で言えばお盆のような行事。
先祖に感謝し、家族が集まり、たくさんの料理を囲む日です。
もち米のもっちりとした食感に、なつめの香り、栗のやさしい甘さ、くるみのコリっとした歯ごたえ。
それらが混ざり合ったひと口は、祝いの味でもあり、思い出の味でもあります。

祝うというより
「感謝する」ためのごはん
薬飯は、華やかな料理ではありません。
見た目も地味で、手間もかかる。
でも、だからこそ「手をかけて作る」ことそのものが、祈りや感謝の表現なのだと思います。
自然に対して、
季節に対して、
台所に立てる自分自身に対して。
このごはんを炊くことが、毎年変わらずに続いてきたことの意味を、しみじみと感じさせてくれます。
今日も、炊きたくなっている
秋風が吹くたびに、私は薬飯のことを思い出します。
木の実の甘さと、手のひらに感じるもち米の重さ。
炊きあがったあとの、台所に残る香りの記憶。
今年もまた、そのごはんを炊いて、「また一つ季節を越えたな」と感じたい。
そんなふうに、秋の台所で静かに火を入れています。
