「かず、なんかチョコとか甘いもの買ってきて」
当時、健康志向がとても強く、「砂糖は毒だ」「お菓子を買うくらいなら自分で作る」と言っていたひかりが、急にそんなことを言ってきた。
果樹畑の帰りに近くのスーパーへ寄り、アルフォートのファミリーパックを一つ買って家に帰った。
元来、甘いものには目が無い僕だったが、ひかりに合わせて普段は食べられないお菓子を食べられるのだ。
ふたりだけなら小さな箱入りのものでもよかったのだが、ひかりのその言葉に便乗して自分もたらふく食べようとファミリーパックを選んだのだ。
こんな使いっ走りならいつだって頼んで欲しいものだとウキウキして帰ると、ひかりはアルフォートに手を伸ばしながらこんなことを言い始める。
「なんか、寝ても寝ても眠いんだよね。疲れてるのかなぁ」
農業のみで生計を立てていた僕たちには休みもなく、朝3時から夜7時過ぎまで働きっぱなしだった。
そりゃあ疲れているだろうし、「寝ても寝ても」と言っても、実際はほぼ寝ていない状態だ。
今思えば、当たり前じゃねかと一蹴するところだが、何となくその日のひかりの言動には違和感しかなかったのだ。
どちらも、ひかりの口からはほとんど聞いたことがなかった言葉だったからだ。
その違和感がどうしても引っかかり、僕の頭の中ではある言葉が浮かんでいた。
【妊娠】である。
「あのさぁ、赤ちゃんできたんじゃない?ひかりがお菓子食べたいなんて絶対言わないじゃん。携帯で調べたら、妊娠すると眠くなるらしいよ」という僕に、
「いやいや、ただ疲れてるだけだし、甘いものだってたまには食べたくなるでしょ」とひかりは答えるが、何だか僕が【赤ちゃん】という言葉を口にした瞬間から、ひかりが動揺している雰囲気が伝わってくる。
僕たちの一服が終わり、仕事に戻ろうとすると、
「あぁ、かず、なんか急に具合悪くなってきたから妊娠検査薬買ってきてくれない?」
という、何とも言い難い使いっ走りをひかりは僕に頼んできた。
「いやいや、流石にちょっと恥ずかしいというか、気まずいというか…ねぇ」
「大丈夫だよ。お願い!なんか急に動けなくなってきた」
「まぁ、うん…一応、買えたら買ってくるけど、買えるかどうかはわからないよ?」
こんなやりとりがあり、僕はアルフォートを買ったスーパーへもう一度向かい、その中にある薬局で今度は妊娠検査薬を買うというミッションを仰せつかったのだ。
何とも甘酸っぱいミッションである。
「あぁ、そう言えば絆創膏買い忘れたなぁ」と言った雰囲気で絆創膏を探すふりをして、店内をぐるぐると回りながら、とりあえず妊娠検査薬の場所をチェックする。
それと同時に、レジ係がどんな人かも一応チェックしておこうと僕はレジの方向を何度もチェックする。
何を買うわけでもなく(いや買うものは決まっているのだが、買う決心がついていないだけだ)、店内をふらふらと見回しながら、レジ係をチラチラと見ているのだから、見る人が見れば、完全に窃盗犯のそれである。
凄腕の万引きGメンがいれば、確実に僕はマークされていただろう。
レジ係は、おばちゃんだった。
商品をレジに持って行ったらおばちゃんから「あら、おめでとうございます」などと小声で言われたら僕はなんて答えればいいのだろうか…などと、いらぬ想像を膨らましてしまい、なかなか妊娠検査薬を手に取ることができない。
ふらふらと店内を何周もするのは、流石に不審者でしかないと思い、食べたくもない蒟蒻ゼリーを手に取る。
「こいつ、妊娠検査薬買うの恥ずかしいからって、蒟蒻ゼリーとセットで買ってやがる」と思われるのではないかと、またもいらぬ想像を膨らましてしまい、本来の商品からどんどんと遠のいてしまう。
それから何分くらい店内をふらふらと歩いたのだろうか。
どうせ、このおばちゃんに会うことはもうないだろう。
会ったとしても、「あ、この前の妊娠検査薬の人だ」などと覚えているはずもないことにようやく気づき、僕は意を決して妊娠検査薬に手を伸ばした。
ドキドキしながらレジのおばちゃんに、妊娠検査薬と蒟蒻ゼリーを渡すと、ガムでも買ったかのように当たり前にバーコードを読ませ、それらを袋に入れて僕に手渡す。
よかった。買えた。
と安堵のため息をつき、車でひかりが待つ家路へと急ぎ、ひかりにそれらを手渡した。
「なんで蒟蒻ゼリーなの」と笑うひかりに、ことの顛末を一通り話し、僕は仕事へと向かった。
仕事が終わり、家に着くとひかりの検査はすでに終わっていた。
「どうだった?」
「うん、これ」
差し出された検査薬には、陽性を示すピンクの2本線が浮かび上がってきていた。
それは、僕たちのもとに赤ちゃんがやってきたことを証明するものであり、
また、僕たちのキムチがひかりのお腹の中で芽生えた瞬間でもあった。
そう、僕たちのキムチは瞬間から始まったのである。
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