ジュリーの手
ジュリーの手は、とても綺麗だった。
雪をかき分け、ほうれん草を収穫する。
そのほうれん草の根っこを湧き水と思われる冷たい水で丁寧に洗っている。
春の雪解け水の中から、セリを収穫する。
そのセリの根っこを湧き水と思われる冷たい水で丁寧に洗っている。
それでもジュリーの手は、とても綺麗だったのだ。
1年ぶりに、妻と映画を観た。
『土を喰らう十二ヶ月』という映画だ。
僕は、「それっぽい」がとても嫌いだ。
「それっぽい」はどこかでボロが出る。
そして、そのボロが「それっぽさ」を際立たせるので、「それ」にはなり得ないのだ。
ボクは、株式会社ワクタクの役員でありながら、「ひかり畑」という農園の事業主も兼任している。
妻ひかりとこの農園を立ち上げてから、10年が経とうとしている。
農家のからだ
農業をやるかどうか、ひかりは迷っていた。
東京のOLを辞めて、新潟に来たばかりの頃だ。
当時のひかりが一番嫌いだった言葉は、「日焼けと手荒れ」である。
その一番嫌いなものが約束されている現場に、これから足を踏み入れようというのだ。
迷うに決まっている。
それでもひかりは、夫を支えるために農家になる決意をし、「日焼けと手荒れ」を受け入れる覚悟をしたのだ。
いやその時点ではまだそれを受け入れるではなく、それに立ち向かおうとしていたのだろう。
農家になったひかりは真夏でも長袖長ズボンで作業をし、「目から日焼けする」という持論のもと外では常にサングラスをかけていた。
日焼けを少しでも食い止めようと思っていたのだろう。
そんな努力も虚しく、日陰のない畑の太陽は容赦なくひかりを照らし、服の上から日焼けした。
また、何をするにも手袋は常に欠かさなかった。
「手荒れ」を食い止めようと思ってとった行動である。
これもまた鍬やハサミの前では無意味な行動だった。
手袋の上からでもマメはできるのだ。
こうしてひかりの体は全体的に黒く日焼けし、柔らかい絹のような手はマメで硬くなっていった。
心だけではなく、体も農家になったのである。
僕たちは実際に毎日農作業に明け暮れ、「それ」になったのである。
ジュリーのような隠せない「それ」
あれから10年経ち、僕たちは自宅兼アトリエになる場所を探していた。
アトリエとはつまり、ひかりがレシピを開発する場所で、尚且つそこが料理教室となる場所である。
東京時代、家電メーカーで最新住宅システムショールームのアテンダントをしていたひかりは、もちろん新築での家探しを考えていた。
一方僕はというと古いものが好きで、古民家と古民具に囲まれた生活に憧れていた。
そうなった時の妥協案はどうなるか、察しの良いあなたならお分かりだろう。
「古民家っぽい新築を建てる」である。
どうしても僕はそれが許せないのだ。
だから僕たちは、築60年の土台が傾いた家を買うことにした。
住むには住めるが、まずは傾いた土台を水平に直すところから始まる大手術をしなければならない。
雨漏りで屋根が朽ちているので、それも直す必要がある。
外壁はところどころ剥がれているので、外壁も全てすべて張りなおしである。
「建て替えた方が早いんじゃない?」
と周りの人達は言っているが、僕の考えは変わらない。
「それ」にならなければ、気が済まないのだ。
映画の中のジュリーの手は、いつだって綺麗だった。
雪の中の大根を掘るのも、
その大根を冷たい水で洗うのも、
ぬか床をかき混ぜるのだって、
いつだって、綺麗な手で洗っていたのだ。
僕は、「それっぽい」がとても嫌いだ。
「それっぽい」はどこかでボロが出る。
そして、そのボロが「それっぽさ」を際立たせるので、「それ」にはなり得ないのだ。
ジュリーの「それ」は、やっぱりジュリーだった。
あんな「それ」を僕も持ちたい。
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コメント
コメント一覧 (2件)
私も「それ」になりつつある…。
ひかりさんと一緒。
指はゴツくなり、一年中黒い。
農業仲間に笑われるほど、日焼け対策をしている。
今夏、テレビに沢山映ったが、誰だか分からないほど。それでも日焼け対策は辞めなかった。もちろん、今でも日焼けしている。風呂に入ると、溜め息をつく。仕方ないよね、農家だから。嫌じゃないけど、死ぬまで女は捨てない。努力は忘れない辞めない。
でも、農業ファッションは絶対つなぎかモンペ。
ぽいのが嫌いだから。でも日焼けは嫌!(笑)
悩める乙女は一生続く。
それでいいと思う私。
なんだかんだ、生きるのを楽しんでいます。
すごくわかります!
そして、それを楽しめているのが素敵すぎます!
今では農作業着がエプロンに。
麦わら帽子と手ぬぐいのほっかむりはバンダナになった私ですが、やっぱりあの時のダメージは今でも私の中の一部となって役立っています。
コメントありがとうございました!